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Toyoki Hasegawa Birth Date 1986-04-18 (age 35) Birth Place Kumamoto Height 176 cm Weight 65 kg Position Midfielder Club Statistics Season Club No. League Game Goal 2005 Sagan Tosu 26 J2 21 3 2006 Sagan Tosu 26 J2 39 1 2007 Sagan Tosu 26 J2 12 0 2008 Sagan Tosu 26 J2 10 0 Total J1 0 0 J2 82 4
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映像作品の一覧 「映像」をタグに含むページは1つもありません。
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新造の映像 時田が『ミラクル』の社長になり、『トリックハート城』を壊そうとした時のために新造が残した映像。 『みらくるん2号』に映像が入ったSDメモリーカードをセットし、パソコンで起動させる。 時田が城を壊そうと攻めてきたときに、井上さんが発信した。 この映像を見ているということは、君が社長になったんだね、時田。 そして、私の大切なトリックハート城を壊そうとしてる。 もちろん、君の本当の目的も知ってるよ。 でも、城を壊したら、全て台無しになるよ。 君の望むものは、永遠に手に入らない。 はったりじゃないよ。 君の目的を果たすには、七人の勇者が必要になった。 千里、風、猛、翔、優、智、明。 お前たちには本当に辛い思いをさせた。 ごめんよ。 そして、城を守ってくれてありがとう。 お前たちは、信じて続けて来たことをやり遂げればいい。 そうすればやがて、一冊の本に出会うだろう。 そこに大切なものを守る全てが記されている。 でもその本は、千里の契約終了日と同時に消滅してしまうから、気を付けて。 もし時田が私の助言を無視して城を壊そうとしたら、 その時はどうか逃げて欲しい。 私にとって何よりも大切なのはお前たちなのだから。 ‥そろそろ眠たくなってきた。 どうやらこれでお別れのようだ。 最後に、本のタイトルは「からくり城と七人の勇者」。 ごめんね、言い忘れてて。 これが最後の鍵を握るからね。
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イベント会場で映像の設営をする時に大事なのは、その出力画面である。大画面でみえることが必須である。出力方法は、2つある。プロジェクターを活用する方法と、オーロラビジョンのような大型テレビを設置する方法である。 プロジェクターは安価に大画面を作れる印象があるが、野外や明るい昼間でも見えるようにするには工夫が必要だ。4000ルーメンであれば、そこそこの値段でそろえることができるが、実は、周りを暗くしないとくっきりとはみることができない。 我々は、それに関しては様々な工夫してきた。一つは、暗幕の設置。光を遮断する布をうっているので、それを適当にプロジェクタースクリーンの周りに配置する。そにより明るい場所でも、プロジェクターは使用可能となる。 ただし、やはりそれでも限界かおる。プロジェクターでくっきりと明るい場所でみることは実際的には不可能だ。あきらめるしかない。 もうひとつの方法が、オーロラビジョンのような、大型テレビの設置である。 LEDバックライトのようなものがでており、最近は目中でも明るく見える。さらに昔オーロラビジョンは、粗いというイメージがあるが、9面パネルを組み合わせたマルチディスプレイなどをレンタルで低価格で貸し出す業者も出ており、フルハイビジョン以上の3Kや4Kの動画映像でみることも可能いなってきているようだ。 映像が見えないと、せっかくのイベントも台無しである。そこにくっきりと明るく画像や映像が表示されると、観衆の集中力がぐっと上がってくる。これは設置する、しないでおおきな違いがあることをやってみないとわからないものである。 また、カメラ側も大事だ。最近はデジタルビデオカメラが増えたため、昔の同軸ケーブルとコンポジット経由という単純な接続ではなく、HDMIなどの規格を活用しながら、高解像度な信号の受け渡しが求められている。 非常に明るく、高精細な画像を大画面で出力することで、観衆の目はくぎ付けとなり、舞台設営舞台としては、大きな効果を体験するようになる。
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新規映像制作者ページ追加の手順 1. 映像制作者の追加をクリック(テンプレートのページをコピーして新規ページを作成) 2. 新規ページ名に追加したい作者名を入れて作成。 3. 1行目のテンプレートと書かれた箇所を作者名に書き変える。 4. 2行目の&furigana()の括弧内に、作者名のふりがなをひらがなで記入。記号や英数字しかない場合は&furigana()の箇所を削除、又は括弧内の文字列を削除。 例1 幻東 → #right(){ furigana(げんとう) furigana()【登録タグ tags()】} 例2 KEN → #right(){【登録タグ tags()】} 例3 Palf → #right(){ furigana() furigana()【登録タグ tags()】} 5. 3行目の imageの括弧内、「アイコン画像をここに指定」の箇所に作者アイコン画像のURLを指定。 6. youtubeの後の括弧内に動画のURLを入力。 7. リンクの項に作者のTwitter、YouTubeチャンネル、ポートフォリオなどを箇条書きで記載。 8. 編集領域の下部にあるタグボックスに以下の4項目を入力。 ①作者名の頭文字, ②使用ツール, ③該当ジャンル, ④ 映像制作者 ※注意点 ①の頭文字について 作者名が漢字、ひらがな、カタカナで始まる場合は先頭の一文字を読み方の通りにひらがなでタグに追加。 アルファベットの場合は先頭一文字を半角大文字、数字の場合は 数字 タグを、記号の場合は 記号 タグを追加。 ②の使用ツールについて 複数のツールを作者が使用している場合、その全てを網羅。 ③の該当ジャンルについて 作者の制作物に該当するジャンル項目にあるジャンルを全て網羅。 ④について ただ「映像制作者」タグを追加する。 9. 「ページ保存」でページを保存する。
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映像データ
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映像
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映像作品 リスト
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ここでは音MADのシュチュエーション別にどのような表現ができるかをアドバイスします。 MADの映像表現 サビはコントラストを上げる 左右反転をする。 上下に動かす。(比較的音の変化が少ない) シンメトリーにする。 音源の素材にだけ囚われる必要はない。別の素材も使ってよい。 BPMに合わせて、拡大縮小する。 ピッチベントの所でラスターをかける ベースなどの目立たない音は半透明 プロの映像作品で使われる効果 素人がこれだなと見つけ出して、AviUtl基準で書いただけですので、参考程度に活用してください。(プロはAfter EffectsやCinema 4Dにプラグインを入れ、利用しています。) 加減速と魚眼レンズみたいなシーンチェンジはよく使います murAta Yuzi /村田 裕次 氏 (https //www.behance.net/m_Yz) ココロの質量…ダブステップ? 発光のシーンチェンジ+ぼかし エフェクト(トレモロ)…CrushJPG、ある一定の箇所を明るくする、ぼかし、オブジェクトを1つ消滅させる、ハーフトーン、色調変換、ディスプレイスメントマップ、拡大、点滅等を混ぜて用いる。最後には用いてない。→悲しい感じで終わるから? 周辺ボケ光量をランダムに移動するようにする。振動している たまにはカメラを切り替える(1小節ごとに別の視点から、キック鳴るごとに)。別の映像に切り替えてもいい。合間に挟むのもいい。 連続のキックにブラーをかける(小) ワブルの時にラスター+色ずれ+色調(暗め)をかける(大)(ぶわー) 音がなるたび(少ない音数、キック等)に時間が進む(時間制御の瞬間移動???)、波、エフェクト(色調)を変える 音が小さくなるとき音声波形 HARDCORE SYNDROME 6 RELEASE PARTY Jingle Movie 画面切り替えの時にエフェクトをかける(この場合はランダムラスターと色相 輝度反転) サビ前は閉じていく表現 最初のロゴは色ずれ+ラスター TANO*C TOUR 2013 TOKYO Jingle Movie (DJ Genki ver. Comparison ver. REDALiCE ver.) 音が止まるときなどは単調な背景に簡単なグラフィク crushで壊された音みたいなのがなるときに方向ブラー 単調な背景から戻るときにも方向ブラー グループの物が動く(今回で言えば0 25あたりからずっと出てる物)時は速さを変えてみる。{この動画では外が中の物に追い抜かされることはなかった。} 登場時の次のシーンで文字が出現するところで出現した(この場合加減速でフェードインしながら登場←SlideIOで代用できる)後、点滅していた{電気感?} **※登場時 上の長い線…真ん中から登場。一番目。{あまりにも長いのでどこからから出現したらバランスが悪い?} 上の長い線にある短い線のセット…それぞれの位置の真ん中から出現し、別れていった。 左の縦線…真ん中から登場。上から降ってきたわけではなく真ん中で出現して下に移動した。二本あるが個別で動かしている。 右の縦線…下から登場。上に移動した。{上とつり合いを取っている?} 左の横棒…右から登場。左に移動した。 バツマーク(右)…拡大しながら登場。 右上の四角…突然出現 右上の三本線…左上のものからのびながら出現 右上の線…そのまま伸びてきて分かれた。 HARDCORE TANO*C 10th Anniversary Jingle Movie 沢山の音声波形(単純な線の)を縦に敷き詰めて並べる 文字は映像が文字に対し差分の関係である。(映像をフレームバッファして、文字をすべての映像より上のレイヤーに置く) 最初のようにたくさん切り替えを行う場合は単純に拡大収縮(カメラを引く)のみ。 TANO*C EXTRA TANO*C REMIXES 3 RELEASE PARTY Jingle Movie 四角→|~|→[~]→点滅しながら消える(括弧と文字の点滅速度は違った) シーンチェンジにJPGCrushと色相反転 サビの前の閉じていく表現+次音が鳴って背景のみ(閉じていくのとは同系の色で明るい色) TANO*C TOUR 2014 TOKYO Jingle Movie 2D→JPGcrush(青め?)→3D 大阪は右から、北海道は上から、広島は下から来る(近いから?)、またそれぞれの速度が違う 音が止まるときなどは単調な背景に簡単なグラフィク 最後の六角形は回りから出現していっている。(拡大) 文字のところに色収差が微妙にかかってる 全体的に思ったこと 音が止まる、少なくなる、聴こえやすいサンプリングが入るは単色背景+簡単なグラフィック(文字)、サビ前は閉まっていく感じが多い。躍動感を出したい場合は 少しカメラを動かす 画面切り替えのとき(シーンチェンジ)、CrushJPG、ラスター、色調変換などの壊す系のエフェクトが使われていた。あるいはカメラ キック、音が鳴るたびに時間が瞬間移動する。 あまりバグする表現を使う人は少ないと思うが大体ブルーバック ミラーを使うときは上下左右に置いていた。
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「TVEV LIVE TV WAR」 「Radical Station」 「AKIRA ASADA TVEV BROADCAST」 「事故の博物館」 「浅田彰が語るグレン・グールドの世界」 「ジャック・デリダ氏を囲んで ディコンストラクションとは何か:「ポスト・シティ・エイジ」において」(Jacques Derrida・磯崎新との座談会) 「farewell njp」 「《LIFE - fluid, invisible, inaudible ...》をめぐって」 1980s 「TVEV LIVE TV WAR」 (1985. 上映 1985.9.15., 筑波科学博にて) 一部がyoutubeにアップロードされている http //www.youtube.com/watch?v=etlzBM3fOtU TVEV BROADCASTは収録されていないものの、1985年9月のつくば万博で上映された「TV WAR」は1985年にVHSとLDが発売、2005年10月には(2004年12月に出た限定Box「坂本龍一 80年代の映像作品集」から選出されて)DVD化された。 浅田彰「メディア・アートへの導入:私的なメモランダム」ではこう回想されている。 「私自身がその線〔メディア・アートとの関わり〕でささやかな試みを始めるきっかけとなったのは、1985年に今野裕一が中心になって行われた立花ハジメとラディカルTV(原田大三郎+庄野晴彦)によるAVパフォーマンスである。ポップ・ミュージック・シーンの延長上に生まれたこの形式は、急速に洗練されていった。だが、このままでは、企業のAVスペースやTV番組のAVコーナーを飾る気のきいた意匠として消費されてしまうのではないかと危惧されたし、また実際、かれらの後から現れた多くのAVグループは、その危惧を現実のものとしていったのだ。 そこで私が試みたのは、そのパフォーマンスを、いちど途方もない規模に拡大してみることだった。筑波科学博のためにSONYが作った巨大なジャンボトロンを使って、開会式を前にした85年9月15日の夜に、坂本龍一とラディカルTVによって一度かぎり行われた〈TVEV LIVE TV WAR〉がそれである。史上最大のTVを駆使して行われた、残酷にして花華やかな戦争のシミュレーション」(『ur』no.1、1990、p.27)。 「Radical Station」 (1986.4.1-13. 放送 パルコ100chTVを中心に渋谷パルコのCATVシステムで放送) Radical TVによる企画番組で、ライヴ・パフォーマンスを含め13日間で34番組を放送した。そのうち22番組の採録記事が『文化の近未来形 Radical Station』(ペヨトル工房、1986.12)に収められており、浅田彰は1986.4.12.放送の30番目と31番目の番組、「カソード・レイ=グラフィティー」(武邑光裕との対談)と「サンプリング・エイジのゲリラ達」(武邑光裕・原田大三郎との座談会)で登場(*1)。 【浅田の発言のいくつかの要旨】 フェアライトのCMI(Computer Music Instrument)とCVI(Computer Video Instrument)の類比、CVIもCMIぐらいの操作能力が望ましい。ミュージック・コンクレートやチャンス・オペレーション、ブーレーズらの音楽史的展開を横目で見ながらヴィデオ映像について考えていたと思われる。 日本の場合TVやヴィデオは、一億向けの全国的ネットワークと100人向けのギャラリーのようなネットワークに両極端に分かれてしまっているが、その中間ぐらいで、普通のオープンサーキットでもなく完全に閉じたギャラリーでもない試みが必要(p.11)、小回りのきくネットワークやメディア・シアターみたいなものがほしい(p.15)と発言。 放送権や著作権、パブリック・ドメインなどについても言及され(pp.14-15, pp.22-23)、アメリカの公共CATVで放送されている政治的なヴィデオアートを、それらを欠いた日本のCFと対比して論じる(pp.23-24)。こうしたPDや日常流されている映像を変形加工しまた投げ返すという手際において未来派との差異があると指摘。 「AKIRA ASADA TVEV BROADCAST」 (1986. 製作 テレビマンユニオン, 放送 1986.9.12., フジテレビ) part 6 http //jp.youtube.com/watch?v=fTHlofKcMJc part 7 http //jp.youtube.com/watch?v=HT2WvQMP-fA part 1 http //jp.youtube.com/watch?v=CScihJCTY08 part 2 http //jp.youtube.com/watch?v=JQpYJc-C9UY part 3 http //jp.youtube.com/watch?v=yi1EjOz7lrs part 4 http //jp.youtube.com/watch?v=0SBYaQ_HWlw part 5 http //jp.youtube.com/watch?v=aSWjJCjQcLQ part 8 http //jp.youtube.com/watch?v=hjCl8fotdpQ part 9 http //jp.youtube.com/watch?v=WPmskNsDQDg :上記「メディア・アートへの導入」でこう回想されている。 「だが、そういうライブ・パフォーマンスと同時に、メディアのネットワークへの浸透が試みられなければならない。およそ一年後の86年9月12日の深夜から翌日の早朝にかけてフジテレビで放送された〈TVEV BROADCAST〉は、その一つの試みだった。田口賢司のプロデュースのもとに、ラディカルTVによるプロローグを始め、石原恒和のディレクションによる浅田彰のレクチャー、ベルギー・ラジオ・テレビ局のステファン・デコステレがポール・ヴィリリオ、クラウス・フォン・ブルッフ、ジャック・ゴールドステインをフィーチャーして制作した実験番組「われわれ男たちはなぜかくもテクノロジーを愛するか」、そして柄谷行人、磯崎新、フェリックス・ガタリらのトークを加えて構成された番組が、4時間余りににわたって放映されたのである」(同上)。上に挙げられた動画は浅田レクチャーの箇所だろう。文字化された記録は『GS 楽しい知識』vol.5、1987.4、「特集=電視進化論」に収められている。 上記記録と比較したかぎり、youutubeでアップロードされている動画はその一部であるのみならず、順序も間違っているようだ。part 6, part 7は、part 1の前にあるはずの冒頭箇所である。したがって、紙面記録に基づいた正確な順序はpart 6, part 7, part 1, part 2, part 3, part 4, part 5, ◎, part 8, part 9である。上のURLリストは記録にしたがって並べなおしておいた。 「TVEV BROADCAST」は3章構成となっている。part 6-7, 1-5は第1章「COMPUTER EVOLUTION」。◎にはベルギー・ラジオ・テレビ局(BRT)製作の「われわれ男たちはなぜかくもテクノロジーを愛するか」("Warum wir Männer die Technik so lieben?", cast Paul Virilio, Jack Goldstein, Stefaan Decostere, Chris Dercon, Klaus von Bruch, production Claude Blondeel, Dienst Kunstzaken, BRT, 1985. 冒頭部分をこちらで見ることができる。cf. Decostereの映像作品一覧)が第2章「TECHNO EVOLUTION」として挿入される。 part 8の4 45の箇所は本来の放送版では編集点であり、注意してよく見るとシーンが切れている。この箇所にビデオ映像『柄谷行人「鏡・ヴィデオ」』が挿入され、part 8の最後に「ニューヨークにそういう巨大なディスコを設計した磯崎新が語ります」と導入句を続け、ビデオ映像『磯崎新「電子の迷宮」』が挿入される。その後再びタクシーシートの場面の浅田に戻って数分語った後、アンデル・リスターの映像作品『HELL』が挿入され、タクシーシートの場面の浅田レクチャーに戻り、次いでビデオ映像『フェリックス・ガタリ「ポスト・メディア」』(撮影はガタリのパートナーであるジョゼフィーヌ・ガタリ)が挿入され、タクシーシートの場面の浅田レクチャーに戻り、ビデオ映像『柄谷行人「デカルトと精神」』が挿入され、最後にpart 9の浅田の語りで締めくくられる(ここまでが第3章「BAROQUE EVOLUTION」)。 1986年前後の柄谷の軌跡はここなどを参照。 なお、Radical TVをはじめとする戦後日本のビデオ作品史にはChristophe Charles「Media arts in Japan cinema, video, intermedia, 1951-1995」(1996年博士課程提出論文。日本語版公開)がある。第1章「History of Media Arts in Japan」の第二部「Intermedia - Video」では「TV WAR」と「TVEV BROADCAST」(後者は本論文では「TV EVOLUTION」と記されている)についても軽く触れられており、参考になる。 「事故の博物館」 (1989. 放送 1989.3.21., NHK総合TV) part 1 https //www.youtube.com/watch?v=A_A4z7Li8-0 part 2 https //www.youtube.com/watch?v=8tD2DpqqSww part 3 https //www.youtube.com/watch?v=LuyYv8LHHYg part 4 https //www.youtube.com/watch?v=goi62jbnKMQ part 5 https //www.youtube.com/watch?v=1VVtMcGlbj0 :製作スタッフはNHKの柴田岳志、ラディカルTVの原田大三郎と庄野晴彦、浅田彰 製作の経緯をめぐっては『ur』no.1(1990)所収の浅田彰「メディア・アートへの導入:私的なメモランダム」「〈事故の博物館〉の舞台裏」、原田大三郎「事故の博物館」(聞き手:今野裕一)、庄野晴彦「デスクトップ・ヴィデオの可能性」(聞き手:今野裕一)参照。 1990s 「浅田彰が語るグレン・グールドの世界」 (1992,NHK) http //video.google.com/videoplay?docid=318854992669373005 「ジャック・デリダ氏を囲んで ディコンストラクションとは何か:「ポスト・シティ・エイジ」において」(Jacques Derrida・磯崎新との座談会) (1992.6.7.京都の大徳寺高桐院にて。一部が1992.6.29.NHKk教育テレビで放送) 抜粋1(pp.336中段-338中段相当箇所) 抜粋2(pp.338下段-339下段相当箇所) 三浦信孝訳、『批評空間』no.8、1993.1.→『Anywhere:空間の諸問題』NTT出版、1994.3、pp.335-349. 2000s 「farewell njp」 (2006) 2006年11月2日、ワタリウム美術館で開催されたナムジュン・パイク追悼ライブ「farewell njp」に参加したときのトーク音声がアップロードされている。以下は浅田発言箇所。 part 2 http //www.youtube.com/watch?v=bN_uhzj__V8 feature=related part 3 http //www.youtube.com/watch?v=w0sY96SZy8k 発言において触れられている『バイバイ、キップリング』(邦訳書籍版あり)の1986年10月の日本放映をめぐるエピソードは、浅田彰「『バイバイ、キップリング』見聞記」(『GS 楽しい知識』vol.5、「特集=電視進化論」所収)などで当時語られている。 ウィトゲンシュタインの兄弟たちが皆自殺したというエピソードを語り、「あ、そうそう、明日ウィトゲンシュタインの建築についてしゃべらなきゃいけないので君に聞きたかったところだったんだ」云々とパイクに尋ねられるというのは、1986年6月22日にウィーンでパイクと(ごく近いところにいるにもかかわらず)電話で語り合ったというくだりで、触れられている(浅田彰「クリス・デルコン」、同書、p.52)。そのときのパイクのインタヴュアーがデルコンだった。 また、1986年の「12月14日、ポンピドー・センターで〈日本の批評におけるモダンとポスト・モダン〉と題するシンポジウムの演壇に立っていた」ときにアラン・ジュフロワに告げられてパイクが来ていることを知り再会した際(*2)、浅田がヴィリリオはパイクを賞賛していたことだし、二人を対談させてみようと考え打診していたところ、パイクも大いに興味を示したが、日程上無理であり、取りやめになったというエピソードも紹介されている(同書、「TV進化論」巻頭文章)。 なお、「電視進化論」特集、メディアアートへの浅田の関心は80年代中期から鮮明で、ジャン=ポール・ファルジエやヴィリリオ、エドモン・クーショなど、『カイエ・デュ・シネマ』ビデオ特集号や『Traverses(トラヴェルス)』(*3)、『ZONE』(*4)、『Change International』に掲載された論文や対談を積極的に翻訳紹介しており、これはのちの『インターコミュニケーション』やICCへの積極的な関与にいたる。NHK教育番組についての持続的な関心は、いわばこの頃からの意識の残影のようなものだと言えるだろう。 「《LIFE - fluid, invisible, inaudible ...》をめぐって」 (坂本龍一・高谷史郎・浅田彰・中沢新一との公開トークイベント。2007.9.15.ICCにて). ※こちらからDL可能。 ●「ダムタイプ《S/N》トーク・イヴェント」(高谷史郎・BuBu de la Madeleine・高嶺格との公開トークイベント、2008.9.15.ICCにて). ※こちらからDL可能。 ●「アーキテクチャと思考の場所」(2009.1.28.世界文明センターでの浅田彰・磯崎新・宇野常寛・濱野智史・宮台真司・東浩紀(司会)とのシンポジウム)※動画は音声のみ。 part 1 http //www.nicovideo.jp/watch/sm5980473 part 2 http //www.nicovideo.jp/watch/sm5980501 part 3 http //www.nicovideo.jp/watch/sm5980551 part 4 http //www.nicovideo.jp/watch/sm5980568 part 5 http //www.nicovideo.jp/watch/sm5980615 part 6 http //www.nicovideo.jp/watch/sm5980629 part 7 http //www.nicovideo.jp/watch/sm5980728